夢は叶えない、偶然に身を委ねる
年末にとある大学の同窓会に招待されました。
それは私が講義にゲストで呼ばれて色々お話をした大学です。なんかびっくりしました。だって私はたまたま一度授業にお邪魔しただけの人なんです。そんな人を同窓会に呼びます?!大感激でした。
当時呼ばれたのはビジネスというか経営学のクラスでした。そこで話したのは「行き当たりバッチリ」でした。その頃私はいくつかプロジェクトを行っている最中で、出張で日本に行っていましてそのついでにいくつかの大学に行っていたのですがまだ大きな賞はとっていなくてそれに向かって頑張ってる時でした。
その講義の時に「XX賞を取ろうと頑張ってる」という話はしていて、それに向かってゆく過程を彼らは知っていたので「本当に取った」というのが心に残ったのだと思います。何人かの生徒さんたちとは連絡を取ってはいたのですが彼らも卒業して社会人になりそろそろ結婚なんて報告も聞くようになりました。
そしてなんとその時の生徒さんカップルが新婚旅行で私の住む場所にわざわざ会いに来てくれました。そして結婚指輪に「行き当たりバッチリ」って彫ったというのです。
なんか、かなりの衝撃でした。
私の言葉にそれほど影響を受けていたの?!って。
私の口から出た言葉は、私から離れてその人の中で勝手に育ってゆく。
もちろん良い言葉だけではないと思います。
私のアンチの人はどんな言葉も悪く取るのかもしれないし、アンチじゃなくても私がうっかり適当に言った言葉を悪く受け止めるかもしれない。
言った私に責任は全く無いとは言わないけど、同じ言葉でもこうやって大切に育ててくれて花を咲かせる人もいれば、「ふーん」で終わる人もいたり、踏んづけて悪口言う人もいて面白いなと思いました。
私は好き勝手に好きなことを話しているだけなんだけど、それが種、イメージ的にはタンポポの綿毛のように飛んでいって、それを大切に育ててくれるひとがいる。
私はずっとこのブログや私の言葉は「届く人に届けばいい」みたいに考えていました。
下手に多くの人に届けようとして面倒な人(アンチとかね)に届いたら嫌だからとか思っていました。商売でやってるならまだしも趣味というか誰かの役にたてばいいと思っているのに面倒な事に巻き込まれるのは割に合わないと。
でも改めて「素敵な花に育てるのも、雑草邪魔だと引っこ抜くのも、ほとんど受け取った人次第なんだな」と思いました。種を飛ばすことにも責任はあるけど私の言葉にチカラを与えるのは(ゴミだと放り投げるのも)皆さんひとりひとりだと思いました。
私はわざとこのブログはあんまり知られないように、マカロンを知る人にだけ届けと思ってやってきました。でもそんな余計な観念は手放してもいいかなと思いました。
自分の言葉をもっと大切に届けて少しでも多くの方のお役に立てればと思いました。
私は行き当たりバッチリという概念は本で学んだというよりも、色々自分のキャリアが進む中で偶然で人と出会い思いもしなかった道に入り今までの自分は何だったんだろうと思うほど輝ける場所にたどり着きました。
そんな時にまさに私が通った道を解説しているのが計画された偶然性で、スタンフォード大学のクラムボルツ教授が言っていた理論を体現したことにびっくりしました。
偶然だと思ってたことが偶然ではなく自分で引き寄せてたことだったとしたらとても納得できたのです。誰にでも再現性があるというのはすごい希望ですよね。引き寄せとかって胡散臭く思う人もいるわけで、そうではないよ多くの人が実践していることだとこの本は言っています。
思った通りになる世界、思いもかけない世界
あなたはどちらを選びますか?