個性のエネルギーとシンクロ
空さんとの対話を書き留めておきます。
空さんはTwitterで日々の気づきをTweetしていらっしゃいます。
なんとなく頭の中で理解している事を文章でアウトプットすると、自分の中で曖昧だったアイディアも言語化されて整理されます。
自分だけのノートに書くのも良いのですが、他人の目にふれる場所に書くと「他人にわかりやすく書く」という意識が働くので自分勝手になりにくいです。
他人の気づきになるとか、誰かの役に立つみたいなことは二次的なことなので、そうであれば嬉しいけれど私はそれは目的にしていません。
ごめんね、空さんは「他人のお役に立てる」に喜びを感じていらっしゃるようなので私がこう書くと「誰かの役に立つのを目的としちゃダメ」みたいな誤解をうむかな?
そうじゃないんです。
これは個性で私は自分のために書いていて、その為なんです。だからお役に立てたら嬉しいけれど、立てなくてもどうもない(がっかりしない)ということです。
この性格の違い?はシンクロにも言えて、ここを空さんと対話したのですね。
空さんはシンクロが起こると、「イエイ、ラッキー最高!」「これは叶うサインかも!」みたいにテンションが上って喜んでいた。
けれど弊害もあってシンクロが起こらないと「間違っているんじゃないか?」「叶わないんじゃないか?」みたいに考えてしまってテンションが下がる。
一方マカロンは「シンクロが起こってもそれはそれ、とシンクロ自体は喜ぶけど叶うサインにはしていない」と。
もしかしてマカロンはシンクロが起こらない時にテンション下げない為にシンクロでテンション爆アゲしないのか?(と、空さんは考えました)
そんなに深く考えていたわけではなく、多分単に普段から私のテンション低め?なんだと思います。自分のことは「ものしずか」という認識です。もちろん言いたいことは言いますし、大口もたたきますがそんなに感情の起伏を表に現さないんだと思います。(夫に対しては別です・笑)
何が言いたいのかと言うと、これは私の個性であって「こうするといい」とか「こうすると叶う」とかではないということです。
だから無理に私に合わせる必要ないよ、と言いたいのです。
あなたはあなたのままで、叶います。
空さんの考察、「シンクロでいちいちテンションを上げていては、シンクロがない時にバイブスが落ちてしまう」という気づきがあったのですから「シンクロはそれはそれであれば嬉しいが叶うかなわないとは別」を採用すればいいのでは?という結論でした。
そして「何も起こらない」平凡な日々がありますよね。
願いは特に叶わないし、シンクロもない、誰かが素敵な言葉をくれたり、なにかプレゼントもない。いつもと違わない、これは既に何度もあったなんにもない日。
朝起きて、仕事・学校に行って、帰ってきてご飯食べて寝る…みたいな。
でも皆さん以前の震災やコロナで「こういうなんでもない日常が、これこそが最上の幸せだった」と気が付きましたよね?
今日と同じ明日が続いてゆく、この安心感ときたら、失って初めて分かったりしますが、今や日本人は(世界中の人も)皆知ってる。
これを利用しない手はないですよね。
「なにもない平凡な日」=「最高に幸せ」
ですので、なんか素敵な事が起こったらただのチョコレートパフェじゃなくて英語の表現だと「チェリーがのってる」、素敵なものが更にスーパー素敵になったっていう感じなんですが、そういう考えはいかがでしょうか?
この世界は自分が世界をどう見るのかで、変わってくる。
だから素敵な世界が見える自分を作るんです。
平凡な日を「最高」とするのか、「つまらない/平凡」とするのか自分次第なんですね。
以前はそう思えなくてもムリクリそうしろ、そう思え(アフリカの可哀想な孤児たちは…みたいな話が出てきてましたよね?)って話だったのが、今は皆さん実感して無理なくできるという世界になりました。
モヤモヤしていても願望は叶うし
シンクロも私には全然関係ないです。それはそれで楽しいけど。それ以上でもそれ以下
でもないと言う感じです。
ただ実感として人間はバイオリズムというのか、何もしなくてもアップダウンがあって以前日本の航空会社にいた友人が「パイロットのスケジュールはバイオリズムで組まれているんだよ」と教えてくれました。かなり科学的なものだということでした。
毎日最高な日であって欲しいと願いますが、それでも調子が悪かったり、なんかぼやけた日もあったりします。
それが人間にとっては普通なので、別に調子悪い日があっても叶うかなわないには関係ないです。でもなにか大事なことをするときはバイオリズム的に調子がいい日が良いですね。皆さん意識しないでやってると思います。つまり潜在意識があなたを守って勝手に調整してくれてる
無理に抗わないで力抜いて行きましょう。