「あとこれさえあれば、完璧」の罠
コメントをいただいてお返事を書いていて思うのですが、皆さんへのアドバイスとかしているけど、これって自分にあてて書いてるなといつも思います。
偉そうに?色々書いていますが実際に私も同じようなことで悩んだり(今も悩んでたり)したんですよ。
もちろん私の個性というのがありますから、悩むポイントは少し違うかもしれません。
今は克服してるけど若い頃にか悩んだとかもあります。でも書いていて「マカロン、これはお前自身へのメッセージだ」と切実に思います。コメント書いて下さる皆さん本当にありがとうございます。身を引き締める思いでいます。
それでですね、気がついたことがあります。
多くの人が「なる」を覚えて(他の方法でも同じですが)あれも叶えた、これも叶えたとなります。良い仕事に恵まれて、収入も上がったけどパートナーだけが見つからないとか、恋人はいるし、好きなことを仕事にはできたけどお金が普通にはもらえるけど全然裕福感はないとかみたいになにか一つだけ叶わないってないですか?
皆さんそれぞれで足りないものは違うけど、これだけが足りないみたいな。
私の場合はお金でした。
ある程度は入ってくるけどとても大金持ちとは言えない感じ。
シンジさんは当時、あとは家だけなんです…と言ってて長い間叶っていなかったです。
ある人は恋人ができないとか。
なぜか一つの分野だけ叶わないみたいなことよく聞きます。
皆さんある程度色々達成していて中級〜上級者と言っていい感じです。
なのになぜだろう?
ブロックでもあるのかなと。
Akiさんとの対話で気が付きました。
私も同じ様な思考をしていたのです。Akiさんへのお返事が自分へのメッセージになっていました。
「あとはお金だけなんです」という思考。
これがダメなんですよ。
どういうことかと言うと「あとはお金があれば(すべての望みが)叶う」という思考は裏返せば「お金がないから叶わない」ということになります。
人によってはこれが「恋人」や「結婚」「家族」だったり、あるいは「健康」や「仕事」「美貌」だったりします。
「これがない(から完璧ではない)」みたいに「ない」にフォーカスが当たっているのですね。この状態で「金持ちになった」とか「結婚して夫婦になった」をしてもアクセルとブレーキを両方一緒に踏んでる状態なわけです。
お金があれば何でもできる
結婚したら幸せになれる
健康なら何でもできる
こう人は考えがちですが、
お金でできることは沢山ありますが、できないことも沢山あります
結婚して幸せな人はいっぱいいますが、同時に不幸な人もいます
健康でそれを謳歌している人はいっぱいいますが、不摂生をしたりして大切にしない人もいっぱいいます
結局自分が何を見るかですよね。
「ある」にフォーカスしたら、「ある」世界が現れるし…みたいな耳タコの基本ですね。
願望というのはそもそも「ない」って所からスタートするわけですよね。
「ない」から「叶えたい」わけです。
ここで「なった」ぞ、となればもう「叶った」のですから「やった〜」というわけで「お金欲しい」とか思わないわけですよ。だってもう大金持ちなんだから。
金持ちになっての最初の豪遊はどこに行こうかしら?なんて思考になるべきなんです。
でも「ここさえ叶えば全部叶う…」と足を引っ張られちゃう。
こんなトラップが最後にある気がします。
簡単に言ってしまえば「ない」にフォーカスが当たっていませんか?という話です。
イウォークさんでしたっけ「カンペキング」、最初から「全て完璧」を意図しておけばいいのですね。とはいえ一つ一つ叶えることに慣れた上級者はトラップにかかってしまうわけです。
ただ私の場合は完璧主義の母に育てられたという経緯があり、完璧主義から脱出するのに苦労したので「完璧」というのに抵抗があるのです。
なので正直に言って言いたくないんですよ。笑
皆さんも自分の個人的事情に合わない部分はカスタマイズしてください。私の場合は「完璧じゃなくても良いかな」みたいに考えています。
もちろんこう思考することで「すべてが完璧に叶うことは無くなる!」みたいに考えちゃう人はやったらダメですよ。そうじゃなくてもうちょいリラックスして「すべてが叶っても叶わなくてもいいや」って手放すような思考です。
Akiさんはすぐに「自分は”お金がない”を叶えていた」ときが付きました。
これって言われれば気が付きますが、自分だけじゃ気づくのが意外と大変なんですよ。現実って面白すぎてのめり込んじゃうと気付けないんです。
だから私もシンジさんも意識を現実から引き話すために相談し合います。別の冷静な人の視点が必要なんです。もちろん自分一人で気付けることもありますが他人に指摘されたらすぐなので。
Shoggiさんは「なる」というよりも自然と、小舟に乗って遊んでいたら流れに乗ってきれいな花畑にたどり着いたような天然のマスターですね。
流れに逆らわず、「え?これどこに行くの?」「沈んじゃわない?」「安全なの?」みたいな不安や抵抗感なく安心してお任せしていたという感じですね。
こういう人は流れさえ止めなければ良いのです。
「呼んでもらう」とか「計画された偶然性」などを駆使してこういう流れに乗ることは可能です。駆使してって言うよりも多くの方は単に無意識にやられていたりするのかな。こういう考え方をしていたら自然と流れに乗ってしまうんです。